12月24日の記事

2014年12月24日

  「弃老山」を読んでいて、ふと昔のことを想った。

 女を抱いていて、この女は彼氏がいるのか、それとも旦那がいるのか。
そんなことはどうでもいい。くだらないことだ、と言うかも知れぬが、
ただ気持ちよくなるなるだけでは満足しない人もこの世にはいるということだ。

 もちろん、抱いている女に子供がいるかどうかなど、どうでもいい。
だが、旦那がいて、子供がいて、こうして男に抱かれているという事実は、
この社会の歪を表している一面と捉える時がある。

 どういう理由(わけ)があって、この女は抱かれているのか。

 人は流されて流されて生きて行く。
その意味は、不条理だ。
事情なんて何も無い、とは言わないが、
突き詰めて探っていっても、納得のいく事情など、そうそうあるもんじゃない。

 だから、ただ抱いていた。
ことが済んだあと、天井を見上げながら、遠い南の島のことを思い浮かべるようになった。

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Posted by きょん at 10:47│Comments(0)■身辺のこと
 
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