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Posted by TI-DA at

橋下徹は平成の孫文か

2015年10月26日

 橋本がまた国に食ってかかってる。
 こんどは国政政党「おおさか維新の会」を立ち上げて、東京を拠点とする「維新の党」に叛旗を翻して、元々の大阪本陣体制に戻して再起を図ろうとしている。
 やれやれという気がないでもないが、かの幕末の長州だって長州征伐の前まではけっこうフラフラとしてたもんだ。大阪都構想のための東京拠点づくり、つまり国会を動かしての法改定による大阪都実現への道筋は、住民投票の敗北に接して急激にしぼんでしまった。
 こんなことぐらいで、やけになったり、投げやりになるようでは情けないというほかはなく、だからこそ何度でも国に一矢を報いてほしい。


  

Posted by きょん at 18:11Comments(0)■東京のこと

プロレタリアート独裁は死んだのか

2015年10月14日

 『夢をかさねて』という曲を聴いている。
もう10年以上も昔、エーベックスが鳴り物入りでデビューさせた韓国の女性ユニットS.E.Sが1999年2月に発表したものだ。その歌は2年後の2001年にS.E.Sのアルバム4.5集『Surprise』に「꿈을 모아서 (Just In Love)」として収められた。
 パダ、ユジン、シューの歌声を耳にしながら、漫然と「人の求める夢」に思いを巡らしていたら、プロレタリアート独裁のスローガンとその生活実態に想像力が動き出した。
 マルクスの導き出した経済形態の一つである共産主義経済は、ソビエト連邦の崩壊を経て中華人民共和国のもとで自由経済と共存を続けている。これはあくまで私的な感想なのだが「プロレタリアート独裁という共産社会」は相当につまらないに違いない。というのは、健全な大人であろう者に小中学生の授業でもあるまいに「決まった時間に規則正しく出退勤を繰り返し」を強いるような社会が個人にとって面白いはずもなかろう。仕事というものは、おのれの自由と裁量で苦難に挑んでこそ、その結果に喜怒哀楽が生じて意味のあるものと感じられるのではなかろうか。いわゆる町工場の事業主とそれを支える協同労働者たる部下たちの関係は、単なる資本とプロレタリアートでなく常に生活共同体としての意思疎通の強い絆によって形成されているように思われる。
 それが一人の事業主に対して4~5人までの部下なら関係性が維持できるのか、それとも事業者のパワーによっては10人とか、あるいは30人くらいまでは可能なのかは分からない。
 いずれにしろ、ソ連におけるプロレタリアート独裁体制という名の経済形態社会の中の労働者は、相当につまらない毎日を送っていたのだろうと想像する。そうでなければ70年そこそこで国家が滅びるなんてのはほぼありえない。ひどいもんだ。人は単に「パンを手に入れるだけ」の労働から精神的喜びを享受できる労働へと自然に移行していくようだ。
 だとするならば、国家官僚主導型の日本式自由経済も個人がもっと自由と裁量を発揮できる経済形態に移行していくべきなのだろうと思う。つまり少人数の企業単位がそれぞれ好き勝手に商売をはじめても何らの支障をきたすことがないような経済形態が創造しうるものと考える。



  

Posted by きょん at 20:21Comments(0)■世間のこと

104国慶節

2015年10月11日

 中華民国という国家が誕生してから104年が経った。
本当に喜ばしことだと思う。
 1911年10月に武昌でうぶ声を上げた中華民国は、首尾一貫して民主の旗を掲げ続けている。それは孫文が書いた「中華民国臨時約法」から始まり紆余曲折を経ながらもこんにちの中華民国憲法へと受け継がれた三民主義の思想だ。
 同時に香港を中心に発展した華僑民主主義の成果であると考えている。つまり近代における華僑は、清国体制の外側に自由と平等を求めて海外に雄飛したもので、孫文が留学したハワイをはじめサンフランシスコやフランスなどの外国にある自由と平等があって(あくまでも相対的)、少なくとも孫文が逃げ回った国々にはそういうものがあった。だからその当時の日本にもあったといえる。
 このような意味で、かつての香港には自由と平等がアジアでは最も十分にあった。そして、こんにちでは台湾が一番持っていると思う。
したがって台湾という国はいまでは「華僑のふるさと」であり、新しい国際経済人の根拠地だと言えるかもしれない。


  

Posted by きょん at 16:15Comments(0)■台湾のこと

104国慶節

2015年10月11日

 中華民国という国家が誕生してから104年が経った。
本当に喜ばしことだと思う。
 1911年10月に武昌でうぶ声を上げた中華民国は、首尾一貫して民主の旗を掲げ続けている。それは孫文が書いた「中華民国臨時約法」から始まり紆余曲折を経ながらもこんにちの中華民国憲法へと受け継がれた三民主義の思想だ。
 同時に香港を中心に発展した華僑民主主義の成果であると考えている。つまり近代における華僑は、清国体制の外側に自由と平等を求めて海外に雄飛したもので、孫文が留学したハワイをはじめサンフランシスコやフランスなどの外国にある自由と平等があって(あくまでも相対的)、少なくとも孫文が逃げ回った国々にはそういうものがあった。だからその当時の日本にもあったといえる。
 このような意味で、かつての香港には自由と平等がアジアでは最も十分にあった。そして、こんにちでは台湾が一番持っていると思う。


  

Posted by きょん at 16:13Comments(0)■台湾のこと

104国慶節

2015年10月11日

 中華民国という国家が誕生してから104年が経った。
本当に喜ばしことだと思う。
 1911年10月に武昌でうぶ声を上げた中華民国は、首尾一貫して民主の旗を掲げ続けている。それは孫文が書いた「中華民国臨時約法」から始まり紆余曲折を経ながらもこんにちの中華民国憲法へと受け継がれた三民主義の思想だ。
 同時に香港を中心に発展した華僑民主主義の成果であると考えている。つまり近代における華僑は、清国体制の外側に自由と平等を求めて海外に雄飛したもので、孫文が留学したハワイをはじめサンフランシスコやフランスなどの外国にある自由と平等があって(あくまでも相対的)、少なくとも孫文が逃げ回った国々にはそういうものがあった。だからその当時の日本にもあったといえる。
 このような意味で、かつての香港には自由と平等がアジアでは最も十分にあった。そして、こんにちでは台湾が一番持っていると思う。  

Posted by きょん at 16:02Comments(0)■台湾のこと