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Posted by TI-DA at

正月なぜ祝う?

2015年01月06日

 正月には神様が家にやって来る。
 その神様の名は「年神」(歳神)または「歳徳(とんど)」あるいは「恵方神」など地方や時代により異なる。
 「としがみ」の「年」とは古くは稲または稲が実ることをいった。
 「とし」の「と」は富みを意味し、「し」は食物を意味するとも解釈されている。
 漢字の年は「禾(いね)」に「人」(くっついて親しみ合うという意味)でできている。
 時を数える単位として年を用いるのは稲が一年をかけて収穫するところによるとされる。

 その神様は汚いが大嫌い
だから、大掃除をしなくてはならない
 神様は家の中の邪気も大嫌い
だから、秋田ではナマハゲが来て「怠惰=なまけ」をはらう=はぎとる民俗行事がある
 神様が迷わずに来れるようにする
だから、しめ縄(尻久米縄)を飾って目印とする
 神様が宿るための寄り代を用意する
だから、「祀る」につながる松を使って門松を依代とする
 そして神様に供え物をする
だから、三種の神器である八咫鏡に見立てた「鏡餅」、八尺瓊勾玉に見立てた「橙」、天叢雲剣に見立てた「串柿」でもてなすわけだ



  

Posted by きょん at 20:22Comments(0)■東京のこと

エンゲル係数

2015年01月05日

 年が明けても食欲が一向に収まらない。
とにかく、ウマいもんが食いたくて節操がなくなる時すらある。
 困ったもんだ。
食欲をコントロールできなければ、やがて人間ではなくなってしまう。
 恐ろしい限りだ。
この欲求が意味するところは、いったい何なのか。
 それもただの食欲ではなく、ウマいもんじゃなくちゃ気がすまないところに本当の理由がありそうだ。

こう書き進むうちにも、もう、すでにウマいもんに脳みそが占領されている始末だ。
 この衝動に抵抗できない自分をどう罰するかを考える必要がありそうだ。



   

Posted by きょん at 22:23Comments(0)■身辺のこと

狙った恋の落とし方

2015年01月01日

 特にどうってことはない新年がはじまった。

またどうでもいい一年をのらりくらりと過ごしていくだけだ。

あの時の懺悔の続きはどうしたらいいのだろうか。

投げ捨てられた手機のように海の奥深くに沈んでいって二度と取り戻すことはできないことはわかっているんだ。

それは終わったことではなく

きみがあまりにも綺麗にすぎて

いままでのことなんてもうどうでもよくなっちまっただけなのさ







  

Posted by きょん at 20:57Comments(0)■台湾のこと